現代文>黒子の刻印

 『黒子(ほくろ)の刻印』 山田詠美

 ものごころがついた時から、既に、自分が、ついていない人間であることを梨花は知っていた。最初に、おかしいと気付いた時、彼女は、自分の双子の妹である美花の顔を、鏡でも見るかのようにに、ながめた。そして、彼女は、美花が、自分と同じ日に生まれ、同じ家族の許で育てられているにもかかわらず、幸運をすべて一人占めにする運命にあるだろうことを悟った。
  二人は、とても良く似ていた。そして、まるで違っていた。顔のつくりは、同じようであったが、備わるべき美しさは、すべて美花の方に与えられてしまっていた。どんなに美しい顔だちでも、目鼻のバランスが崩れては、それは、もはや美とは言えない。二人の違いは、そこにあった。美花の顔立ちには、バランスというものが与えられ、梨花には、それが、まったくなかった。目も鼻も口も、ひとつひとつを見ると、二人は、とても良く似ていて、双子だというのが解る。けれども、美花は美しく、そして、梨花は、そうではないのだった。おまけに、もっと不運なことに、梨花の左の頬には、直径二センチ程もある、大きな黒子(ほくろ)が付いていた。これでは、もうどうしようもない。梨花は幼い頃に、そう自覚してしまい、自分の運命を呪った。
  もしも、自分が、双子の姉妹のひとりなどでなければ、あるいは、状況は、すべて変わっていたかもしれない、と彼女は思う。比べる人間が側にいなければ、それ程、悪い顔でもないと思う。けれど、そんなことを考えても、もう遅い。人々は、二人を、困惑したようにながめ、こう言うのだ。                   
「まあ、可愛いお嬢さん方」
  けれど、そんな誉め言葉が嘘であるのを、梨花は、とうの昔から気付いている。人は、あまりにも、さりげなく装うことで、かえって本心をさらけ出してしまうものだ。自分の黒子に、目を止めた時の人々の困った様子を、彼女は、冷たくせせら笑っていた。その様子が、大人たちには不気味に思えたのだろう。誰もが、ぎこちない様子で、梨花を避けた。そして、美花に、ありったけの誉め言葉を使うのである。可愛らしい子供を可愛がることは、楽である。安易な大人たちを梨花は憎んだ。自分をこのような形で生んだ両親を憎んだ。けれども、彼女が一番、憎んだのは、自分の可愛らしさを自覚して、常に、のびのびと振舞っている美花であった。

1.「もしも、自分が、双子の姉妹のひとりなどでなければ、あるいは、状況は、すべて  変わっていたかもしれない、と彼女は思う。」
  1)どのように違っていたと考えられるか。
・自由に発言させる。
  2)自分の不幸な運命の原因は何か。
・双子であり、その妹が美しく、私には黒子があるということ。その環境。

 *自分のせいではなく、環境が、まわりが私を不幸にしているのだと小さいときから気づいていた(感じていた)ことを確認する。

2. 「人は、あまりにも、さりげなく装うことで、かえって本心をさらけ出してしまう   ものだ。」
  1)例としてはどのようなものがあるか。
・社交辞令。
・愛想笑い
  *思いつく限り出させる。

 あれは、小学枚の四年生の時の誕生日のことだっただろうか。家族で、ささやかなお祝いをした夜のことである。両親は、二人に同じ贈り物をくれた。可愛らしい金髪の西洋人形だった。包みを開けた時、しばらくの間、梨花は、すべてを忘れて暖かい気持になった。サテンのドレスを着た人形が、あまりにもいとおしくて、彼女は抱き締めて頬ずりをした。美花も有頂天だった。
「ママ、パパ、ありがとう。美花ねえ、こういうお人形さん、ずっと欲しかったんだよ」 両親は、にこにこと笑っていた。梨花も、幸せな気分に包まれて、お礼の言葉を口にしようとした、その時だった。美花が突然、電話の側にあったペン立てから、フェルトペンを取って言った。
「梨花のお人形と間違えないように、こうしなきゃ」
  そして、彼女は、あっと言うまにペンのキャップを外して、梨花の人形の頬に黒い印を付けてしまったのである。
  梨花は、呆気に取られたまま、黒子の付けられた人形をながめた。人形は、もはや、愛らしいものではなかった。大きな黒子の付いた顔は、異様に見えた。梨花は、救いを求めるかのように両親を見た。そして、絶望した。彼らは、美花をたしなめながらも笑っていたのである。梨花は、人形の顔をまじまじと見詰めながら考えた。同じようなものを醜くするには、黒い点を付ければ良いということなのだろうか。まさに、この時、梨花は、劣等感という黒い刻印を押されたのである。
  それから成人するまで、梨花の人生は、黒い刻印との戦いであった。学枚では、あらゆる生徒が、彼女と美花を区別するために、黒子のある方、ない方という言葉を使った。
  彼女に初恋が訪れた時などは悲惨であった。恋した少年に、どうにかこの思いを伝えたいと彼女が心を脹らませていた時、こんな会話を耳にしたことがあった。
  放課後のことである。梨花の好きになった少年の名は、河合と言った。彼女は、彼の姿が下校前に、どうしても見たくなり、彼の属するサッカー部の部室を偶然の振りをして通りかかったのである。そこで、彼女は、耳を覆いたくなるような言葉を聞いてしまう。
「えーっ、河合って、井上のこと好きなの?」
「うん。つき合いたいって言おうかなあなんて思ってさ。あいつ、すげえ可愛いじゃん」「でも、上級生と噂あるぜ」
「関係ねえよ。本人から聞いた訳じゃないしよ」
「なんだよ、なんだよ、お前えら何、話してんの?」
「河合が井上とつき合いたいんだってさ」
「へっへっへっ、そうかい。で、どっちの井上?」
「お前え馬鹿じやねえの。井上美花に決まってんだろ」
「えーっ、やっぱ、そう?」
「冗談よせよ。なんで、あんな顔におたまじやくしくっ付けたようなのとつき合いたいと思うんだよ」
「失礼いたしやした。でもさ、あの黒子なかったら、どうする?双子だぜ」
「それでもパス!全然、雰囲気違うよ。姉さんの方、すげえ陰気くせえじやん」
梨花は、ここまで聞いて、いつのまにか走り出していた。すべてが憎かった。いったい誰が、私を陰気くさくしているというのだ。おまえたちじゃないか。黒子があるのは私のせいじやない。美しい少女と双子の姉妹として生まれて来たのも私のせいなんかじやない。ついてない。彼女は、心の底からそう思った。生まれて来たこと自体、ついてなかったのだ。
  それから少したって、美花がサッカー部のマネージャーになったと嬉々として話すのを
聞いた。
「河合くんとつき合うの?」
  梨花の言葉に美花は頬を染めて大袈裟に驚いて見せた。
「えーっ?もう知ってるの?実はそう。河合くんて、皆の憧れだし、あれなら私に相応しいかなあなんて、ね」
  梨花は、誇らしげに話す美花の頬を見て考えた。もしも、この黒子が、彼女の頬にあったらどうだろうか。梨花は、目の前のばら色の頬に黒い染みを重ねてみたが駄目だった。
誉め言葉を与えられ続けたつやつやとした皮膚は、もう既に黒い染みなどを受け付けなくなっているのだった。
  その夜、梨花は、ひとり部屋にこもり、鏡と向かい合っていた。指二本を頬に当てて黒子を隠してみた。そんなに悪くない、と彼女は、ひとりごとを言った。けれど、決して良くもないとも思うのだった。どうも、鏡に映る自分の顔の表情はすすけている。彼女は、それか何故なのか、まったく解らないのだった。色々と表情を変えたり、髪型を変えてみたりをくり返していたが、つい黒子に目が行ってしまう自分にうんざりした。自分でさえ、そうなのだから、他人が自分の黒子に注目してしまうのも無理はないと思えて来た。要するに、彼女は溜息をついた。自分はついていなかったのだ。
  彼女は、諦めて眠りにつこうと灯りを消した。暗くなった部屋には、カーテンの隙間から、月明かりがさした。彼女は、もう一度、鏡をのぞいた。ぼんやり映った自分の顔にはあの憎らしい黒子がなかった。平等なのは、夜だけだ。彼女は、そう呟いて布団もぐり込んだ。

1.「黒い刻印との戦い」の意味を考える。
  1)「黒い刻印」とは何の象徴か
・劣等感
  2)その刻印と戦うとはどういうことか。
・身体的特徴としての黒子が象徴する、劣等感との戦い。それひきずり、背負って生きていくこと。
・あまりにもつらい現実であるため、梨花にとっては戦うことと同義である。

2.「いったい誰が、私を陰気くさくしているというのだ。おまえたちじゃないか。」
  1)彼らが、美花と梨花を区別するものは何か。
・黒子
*陰と陽の対比。「黒」という色の持つイメージについて考えさせる。
  2)彼らが美花と梨花を評価する基準は何か。
・美しさ。
*外見から判断していることに注目させる。
  3)私が陰気くさくなったのはなぜか。誰のせい
・自分に責任があるわけではないのに、「美」という観点で私と美花を比べ、劣等感を刺激するから。

3.「誉め言葉を与えられ続けたつやつやとした皮膚は、もう既に黒い染みなどを受け付けなくなっているのだった。」
  比喩表現を考える。
  1)「誉め言葉を与えられ続けたつやつやとした皮膚」はなんの比喩か。
・小さい頃から常に顔立ちのよさを称賛され、そのことでさらに輝きだした美しさ。
・皮膚は「美しさ」の直喩。「白い肌」のように肌を誉めることは、その人の美しさを誉めること。
  2)「黒い染み」はなんの比喩か。
・梨花の黒子の象徴されるような美しさに対する劣等感。
・美花はこれまでの数々の誉め言葉で自分の美に自信があり、そのため心の中に劣等感が生まれる余地などないという比喩。暗喩

*「病は気から」の言葉のように、人間の気持ちが身体に与える影響について考えさせる。

4.「どうも、鏡に映る自分の顔の表情はすすけている。彼女は、それか何故なのか、ま  ったく解らないのだった。」
  1)「つい黒子に目がいってしまう」
・髪型だとが表面的なことをかえようとしても、結局は心のなかには常に黒子の存在が気になっている。
・劣等感というものはそう簡単には消えてくれない。

 2)梨花を美しくみせていないものは何だと思うか。
・ふさぎ込んだ心。 マイナスの感情
・劣等感 *後半はプラスの感情に転じさせようと努力し、結果生き             生きとしてくる点につなげる。

5.「平等なのは、夜だけだ。」の意味を確認する。
  鏡をのぞき込んでいる間どんなにしても、黒子に目がいっていた。美しく見えない。

  梨花は黒子が見えなくなった夜の闇の中だけ平等になったと感じている。

光があり、黒子が見える間は劣等感にさいなまれる。
*光黒(闇)は対立する項目である。光の中で黒が浮かび上がってくる。

  光が薄くなり、黒子が闇(黒)で塗りつぶされたときだけ、劣等感も塗りつぶされ平等 になったと感じる。
  *心が「黒」に支配されつつある。

  「平等なのは、夜だけだ」

*見られることに対する劣等感
*心の問題が表情にもあらわれてくるという点に注目させる。

 当然のことながら、梨花は、美花とは別の大学に進んだ。美花は、益々、美しくなって来て、家ですら顔を合わせたくない程だった。彼女は、いつも男子学生に送り迎えされて家を出て行き、梨花の気分を悪くさせた。あんな軽い女の子のいいなりになっている男たちが皆、情けなく思えた。
  その頃、梨花にも、ようやく恋人らしき男が出来た。同じサークルに入っている横山という学生である。梨花は、大学に入学すると同時に、それまでの劣等感を抱えた生活から何とか脱出しようと試みている最中だった。なんと言っても、美花と双子の姉妹であることを周囲に知られないですむというのが良かった。キャンパスにいる間は、美花と比べられることがないのだ。このまま美花と一緒にいたら、自分には、ついていない人生しかやって来ないだろうというのに気付いたのだった。
  そこで梨花は、自分が、美花なしに作り上げることの出来るあらゆる自分自身のイメージについて考えてみた。黒子のせいで、どんなふうに化粧をしても、美しく華やかな女を装うことは出来そうにもなかった。あんまり笑わずに過ごして来たため、冗談を口にする方法を知らない彼女に道化の役もやれそうになかった。色々と考えた末、思いついたのは、人を憎むことを知らないお人良しの女というイメージだった。善良で、人の心を暖かくさせる、一緒にいて心安まる女として、人々に印象を与えることを選んだのである。
  彼女は、それまでの不満をいっきに解消するかのように、親切な人間を装った。そうしている内に、彼女は演技者としての才能を開花させて行った。誰も美花の存在を知る者がない。そのことを思うと、彼女は、喜びのあまりに叫び出しそうになった。けれど、叫ぶ代わりに人々に親切にしてあげるのだった。ああ、人々に感謝されると言うのは、何という快楽なのだろう。誰もが、彼女の黒子のことなど気にしていないようだった。皆、彼女に、相談ごとを持ちかけ、心から頬りにしているという態度を見せるのだった。すると、どうだろう。彼女自身も、自分の頬にある忌わしいものの存在を忘れてしまうことが出来るのだった。
  横山は、最初、恋愛の悩みを相談するために、梨花を呼び出していた。梨花は、心から心配し、彼の恋愛を上手く行かせてあげる振りを装った。けれど、時には、心が痛んだ。彼は、嫌味なところの少しもない、魅力的な男だった。そんな彼に、いつのまにか、梨花は恋をしていたのである。
  結局、横山の恋愛は上手く行かず、梨花は、彼のやけ酒につき合うことになった。彼女は、絶好のチャンスが到来したと胸をわくわくさせた。もちろん、そんなことは、おくびにも出きず、彼女は、時には彼を叱りつけ、時には暖かい思いやりで彼を包み、とうとう酔いつぶれた彼のアパートで一夜を過ごすことに成功した。
  朝、目覚めた横山は、隣に寝ている梨花に驚いたたようだったが、彼は、別に気まずい様子も見せずに、コーヒーをいれた。
「悪かったな、昨夜。おれ、だらしねえな。あんな女のことぐらいで、酔っ払ってき」
「そんなことないわよ。でも、私がいて良かった。あなた歩けなくなる程、飲んだのよ」
「ごめんな。きみといると、どうしても、気を許しちゃうんだよな。こんなことになっち
ゃって、怒ってる?」
「ううん。私、横山くんのためならなんでもしてあげたいのよ。私とこうすることで気が休まるんなら、それでいいの」
「馬鹿だな。お前え、いい人過ぎるよ」
  そう言って、横山は梨花を抱き寄せた。梨花は、自分にようやく訪れた恋を逃がすものかと彼の背中に腕をまわした。
  サークル内で、横山と梨花が恋人同士になったという噂は、あっと言う間に広まった。誰もが、この善良なカップルを祝福していた。あの二人って、本当に優しい人たちよね。女子学生がそう口々に言うのを、梨花は、美しい音楽を聴くように、うっとりと耳に入れた。おい、おまえのかみさん、どうしてるなどと、男子学生が横山に対して話すのも好ましかった。二人は、結婚するに違いない恋人同士と誰にでも公認され、梨花は有頂天だった。

1.「梨花の気分を悪くさせた。」
  1)気分を悪くした理由はなにか
・送り迎えをする男子学生
  2)その男子学生への評価は
・情けない
  3)梨花の美花に対する評価は
・美しさを誇る、軽い女
  4)その評価にはどのような感情が働いているか。
・嫉妬

2.梨花の不幸な人生の原因は何か
   ・美花の存在
  「このまま美花と一緒にいたら、自分には、ついていない人生しかやって来ないだろ  うというのに気付いたのだった。」

3.「彼女は、それまでの不満をいっきに解消するかのように、親切な人間を装った。」
  1)それまでの不満とは何か。
・美花にすべてをもっていかれているという不遇感。自分は必要のない人間なんだと思わざるをえない
  2)なぜ親切な人間を装うことが、不満解消につながるのか。
・感謝されることで、必要とされることで自分の存在意義を感じ、生き生きと自分 を表現できることで、これまでの抑圧されたものが解放されるから。

代償
*作り上げたイメージ、仮面をかぶって生きていくことを選択。
*人間は何かの役割を演じている。少なからず仮面をかぶっている。

4.梨花は、自分にようやく訪れた恋を逃がすものかと彼の背中に腕をまわした。
  1)横山くんへの表面上の対応はどのようなものか。
    ・から心配し、彼の恋愛を上手く行かせてあげる振りを装った
  2)梨花の本心は何か。
    ・初めて訪れた好機を逃がすまい、絶対に掴み取ってやるという執念にも似た感情。

5.彼女自身も、自分の頬にある忌わしいものの存在を忘れてしまうことが出来るのだった。
  1)何故頬にある忌まわしいものの存在を忘れてしまうことができたのか。
    ・誰もが、彼女の黒子のことなど気にしていないようだから。
    ・皆、彼女に、相談ごとを持ちかけ、心から頬りにしているという態度を見せたの    で。
  2)今までの気持ちと比べて、状況はどのように変化しているか。
・必要とされることで心の中に満足感が湧き、劣等感が薄まった。
  3)「黒子」を必要以上の存在にしているものは何か。
    ・梨花の劣等感

「そろそろ、おまえの家に挨拶に行かなくちゃなあ」
  横山がそう言い出したのは、彼の就職が内定して、一ケ月程、たってからだった。梨花は、ぼんやりと、幸福感の中に浮かびながら、彼に尋ねた。
「それって、もしかしたら、結婚の申し込みをしに行くってこと?」
  横山は、赤くなって頭を掻いた。
「言わせんなよ、いちいち。おれ、おまえ程一緒にいて、安らげる女って知らないし」
「私でいいの?」
「ほらほら、また始まった。そういう控え目過ぎるとこが、おまえの長所でもあるし、欠点でもあるんだよな。おまえって、ほら、なんか肝っ玉母さんみたいになりそうじゃん。安心出来るんだよな」
  梨花は、嬉しさのあまり啜り上げた。
「なんだよ、泣くんじやないよ」
「だって、幸せなんだもん」
  横山は、ハンカチを差し出して、梨花の背中を優しく叩いた。彼女は、涙を続きながら、美花の顔を思い出していた。とうとう私は、あの子よりも最初に幸福をつかんだのだ。あの子のように、姿形ではなく、内面を武器にして、恋を成就させたのだ。彼女は、ふと、頬に触れて黒子の存在を思い出した。こんなのどうってことないわ。だって、夜になれば、消えてしまうのだもの。そう心の中で呟きながら、彼女は、夜と昼の区別さえない男と女の愛について考えていた。
  梨花が、結婚を前提に交際している男を家に連れて来るつもりだと告げた時、誰もが、驚きで口もきけない程だった。彼らは、梨花が、大学で、どのように振る舞っているかをまつたく知らなかった.
  美花は、さも、おもしろそうに、尋ねた.
「どういう男の人?梨花もやるじやない。全然、そんな素振り見せないでさ」
「・・・・・・素敵な人よ」
「就職内定してるって言ってたけど、どこなの?」
  梨花は、横山が入社する予定になっている大企業の名を上げた。美花は、心から驚いたかのように目を見開いた。
「へえ、すごいじやない。信じられないなあ。梨花が、そんな人をつかまえるなんて」
「でも、全然、気取ってない人よ。素朴な人。女の子にもすごく人気あるわ。でも、私がつき合い始めちゃつたから、皆、がっかりしてたみたい。後輩にも尊敬されてるわ」
  美花は、明らかに不服そうな表情を浮かべていた。それを見て、梨花は、肩の荷が降りたような気持になった。ようやく、この家を出ることが出来るのだ。この憎々しい分身から走り去ることが出来るのだ。そんな彼女の思いには、まるで気付かずに、両親は、どのように横山を迎え入れたら良いのかを大慌てで話し合っていた。
  横山は、とても自然に家族に溶け込んだ。彼は、とても育ちの良い、それでいてやんちゃな青年のように振る舞って、両親を喜ばせた。梨花は、気楽な仲間のように彼に接していたが、内心は穏やかではなかった。彼が、時折、心奪われたかのように、呆然と美花を見ているのに気付いたからだった。美花は、いつもと違い、控え目な様子で母の手伝いをしていたが、時折、実に自然な仕草で、横山の気を引いていた。
「お前に双子の妹がいるなんて知らなかったなあ。しかも、あんなに綺麗な人」
横山は、翌日、感動を覚えたという調子で美花を誉めたたえた。梨花は、ぎこちない笑顔で相槌を打ちながら、ある決心をしていた。そして、その決心を実行に移すために、アルバイトを始めた。彼女は、自分の頬の黒子が、久し振りに浮き上がって来るように感じていた。

1.横山くんのセリフから、性格を考える。
・子どもっぽいところが残る。
・家庭に安らぎを求めるタイプ。

2.「彼女は、涙を拭きながら、美花の顔を思い出していた。」
  1)涙の本当の理由は?
・美花という存在は小さい頃から私の不幸の原因であった。その美花より先に幸せを手にすることの喜び。

2.「あの子のように、姿形ではなく、内面を武器にして、恋を成就させたのだ。」
  1)美花の恋の仕方を推測する
・美貌にものをいわせて男達を誘惑する。(心が伴ってるつきあいをしているかどうかは疑問)

 2)梨花の恋愛方法は?
・人柄(やさしさ、愛情といったもの)を全面に押し出す。

 3)梨花の恋はどのような恋か。
・美花を見返すための恋。手段。

*どちらが本当の心の通ったつきあいだろうか。
*梨花のほうは表面的には人柄を重視した付き合い方のようだが、屈折している。彼   女が本当に手に入れたい物は何かを考えさせる。

・美花を見返し、心理的優位に立てる境遇

3.「美花は、明らかに不服そうな表情を浮かべていた。それを見て、梨花は、肩の荷が  降りたような気持になった。」
  1)美花が明らかに不服そうな表情を浮かべたわけは何か。
・美しさにおいて圧倒的に勝っている私のほうが、より質の高い幸せを手にする権利があると思いこんでいたから。

 2)梨花の肩にはどのような重荷が乗っていたのか。
・美花に「美」という面でかなわない、恋愛関係においては絶対に幸福を掴み取ることはできないという劣等感

4.「自分の頬の黒子が、久し振りに浮き上がって来るように感じていた。」
  1)頬の黒子が象徴するものは
・いつも美しさを比べられて悔しい思いをし、不遇感を味わった劣等感。

 2)何故久しぶりに「浮き上がって」くるように感じたのか。
・美花の横山くんへの行動、横山くんの言動により、「また幸せをつかみ損ねるかもしれない」という不安が、その不幸の象徴でもある黒子を変に意識させることになった。

 数日たって、横山の許に駆けつけた梨花の頬には、大きなガーゼが張りつていた。彼女は、手術をして、黒子の除去を行なったのだった。
  横山は、驚き、そして、次に、不思議そうに尋ねた。
「なんだって、そんなことを……」
「あなたのためよ。ない方がいいと思って」
「困るよ、そんな」
  横山は、しばらく下を向いていたが、やがて決心したように言った。
「結婚の話しだけど、ちょっと、待ってくれないかな」
「どういうこと?」
「ちょっとさ、自信なくて」
「美花のせいね」
  横山は、うろたえたように梨花を見た。
「どうしたのよ、返事してよ。あの子に何か言われたのね!人でなし!あの女はね、いつだって、私のことを陥れようとする人だから!ちょっとくらい綺麗だからって、最低よ!私、殺してやりたいくらい憎んでるわ!私は、あの子のおかげで、ずっと不幸だったんだから!」
  横山は、唾を飛ばしてまくしたてる梨花を唖然としてながめていた。いったい、どうしちまったんだ。仕事に慣れるまで、結婚なんて出来ないって言おうとしてたのに。
  彼は、わめき続ける梨花を、まるで知らない女を見るように見続けていた。ガーゼの下には、もう、あの黒い塊が存在していないのだろうか。だとしたら、どこに行っちまったんだろう。彼は、呆然と、梨花の胸のあたりに日をやるばかりだった。梨花は、そんな横山の困惑には一向に気付かずに、取り除いた筈の黒子を心の奥底に移動させ続けていた。

1.「黒子の除去」
  1)本当は何を除去したのか。またはしたかったのか。
・自分の心の中にある、美花に対する劣等感。
  *梨花が「売り」にしていたものは何だったか。

2.「ガーゼの下には、もう、あの黒い塊が存在していないのだろうか。だとしたら、どこに行っちまったんだろう。」
  1)横山くんにとって「黒い塊」はどのような意味をもっていたのか。
・梨花の個性そのもの
・梨花と美花を区別するもの(いい意味で)
・梨花は心優しい女性で、美しさを誇り武器にするような美花とは違う存在であるこ とを明確に示すものの象徴。

3.「取り除いた筈の黒子を心の奥底に移動させ続けていた。」
  1)何を象徴しているか。
・劣等感の象徴であった黒子が心の奥底に移動することによって、劣等感という感情がいよいよ梨花のものとして定着してしまったこと。

*最後に感想を書かせる。初読の感想と比べさせる。

 

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