現代文>『山椒魚』

『山椒魚』 井伏鱒二

【教材観】
『寓話』教訓や処世訓・風刺などを、動物や他の事柄に託して語る物語。「イソップ物語」など。教訓的なたとえ話。
井伏鱒二特有の皮肉を効かせた寓話。書いてあることをそのまま読み取ろうとするとなんだか不思議な話になってしまう。寓話であることをおさえ、「近代的自我」の孤独について読み取らせたい。

【指導観】
山椒魚を「頭でっかちの近代理性人」に読み替えながら読み進めていく。それに対応して「苔」や「めだか」や「身持ち小エビ」や「蛙」がそれぞれ何にたとえられているのかを的確に読み取らせながら、井伏鱒二の鋭い人間観察眼に基づいた寓話を読解させる。

【第一段落】

@山椒魚が置かれている状況を理解させる。
A山椒魚の心情について理解させる。

1 「山椒魚は悲しんだ」理由は何か
岩屋の中にいた二年間に成長し、出口に頭がつっかえて出られなくなってしまったから。

☆「山椒魚」は何に例えられているか。→近代的知識人。 頭が肥大化したために岩屋から出られなくなった→「知」や「理」によって自然から疎外された近代的知識人の姿そのもの。

見田 宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』
作田啓一『個人主義の運命』岩波新書

2 ついに苔が生えてしまったと信じた。
「苔」にマイナスイメージ。 自然 動かざるもの 歴史 伝統 人為 動くもの 変化 進歩

第二段落

@「杉苔と銭苔」などが比喩的に何を表しているかを理解させる。 A「めだかたち」が比喩的に何を表しているかを理解させる。

3 「杉苔や銭苔を眺めることを好まなかった」直接的に書かれている理由
・自分のすみかである岩屋の水が汚れてしまうと考えたから。
「苔」や「かび」に意志や意味を考えずに繁殖し、存在し、滅び、生成する自然の象徴をみている。その自然と同化し、朽ち果てることを無意識に嫌悪している。 知に毒され、意味を求め続ける反自然的な近代知識人の典型。

4 「ほの暗い場所から明るい場所をのぞき見する」山椒魚をどのような人間にたとえたものか。
研究室や大学等(象牙の塔)にこもりながら、狭い見識に頼って世間に対する机上の空論を述べている知識人。

5 多くのめだかたち
群れをなしたがる人間の性質を表現。人間はこういう社会性をもつがゆえに、不自由なのだ。

6 「なんという不自由千万なやつらであろう」
めだかたちは群れを離れて一匹だけで泳ぎ回ることができないから。
☆その場の全体的な風潮に流され、流行や習慣、思想等の全体的傾向に影響されながらみなと同じような行動を取ろうとする人々の喩え。


7 「彼らを嘲笑してしまった。」と表現した理由。
 ・岩屋に幽閉され動くこともできずにいる自分の方がめだかより不自由だから。
 ☆知にとらわれて、岩屋から抜け出せない自分の方が、群れながらでも現実社会で活動しているめだかより「不自由千万」である。

8 よどみの水面に浮かんだ白い花弁
どうにもならない山椒魚の状態。→運命の渦から逃れることはできないと暗示。

「今にもめがくらみそうだ」

第三段落

@「身持ち小エビ」が比喩的に何を表しているかを考えさせる。 A山椒魚が屈託から抜け出そうとする際の心理変化を整理させる。
★一匹の小エビ

→産卵期で、たくさんの卵をかかえている。
→「杉苔と銭苔」同様に自然な生命の象徴。
小エビの産卵=銭苔の「繁殖」、杉苔の「花粉」散布と同様、自然の生殖行為、生につながる行為。

★山椒魚は〜我慢した。
「身持ちの虫けら同然のやつ」と見下した言い方。

この小エビに去られたくない。
自分とともに他者が存在しているという状態をそれだけで喜んでいる山椒魚。

9 「屈託したり物思いにふけったりする」ものは否定させるべき。
【屈託】解決策を見出し得ない運命の中で、思い屈している状況。
・実際の行動をおこさなければ、現実の問題を解決することはできないから。

・単に小エビに向かって発せられた言葉ではない。
・自分自身を奮起させるための自己批判。→山椒魚が岩屋から出る決心をし行動に移る。

第四段落

@山椒魚の絶望を理解させる。

10 山椒魚が「自分を感動させるものから、むしろ目を避けた方がいい」と考えのはなぜか。
・感動に値するような活発な行為を、自分がすることは現実にはありえないことを自覚したから。

11 「ブリキの切りくず」
・何の役にも立たない者のことの比喩。

第五段落

@山椒魚が蛙を閉じこめたときの心理状態を理解させる。

12 山椒魚の「よくない性質」とは何か。
・誰かを自分と同じ不幸に陥れるのを喜ぶような性質。
☆幸福になることを建設的に考えない者は、他人の足を引っ張り、相手を陥れることで、自分の幸福を確認する。

第六段落

@山椒魚と蛙の口論の意味について考えさせる。

13 「鉱物から生物によみがえる」とは
・冬眠からさめたということ。
★山椒魚と蛙の会話が、論理的に何かを伝えるためのコミュニケーションではなく、 関係性の中で、互いの存在を確認するためだけに展開しているものになっている。

第七段落

@山椒魚と蛙の友情について考えさせる。

14 山椒魚が「友情を瞳にこめて」蛙に話しかけたのはなぜか。
・蛙も自分同様、どうしようもない絶望状態にあることがわかったから。
★無益で内容のない口論を繰り返すことによってのみ、互いに存在を確認。

自己意識を保持するためにはどうしても他者としての相手が必要。

運命共同体としての他者との関係を「友情」と置き換えることも可能。

 

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